2018/11/16

バザン生誕100周年記念イベントのお知らせ

 フランスの映画批評家アンドレ・バザン(1918-1958)は、今年、生誕100年、歿後60年を迎えます。2016年6月に山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所内に発足し、国内の様々な大学に所属する10名の研究者で構成されるアンドレ・バザン研究会は、これまで2号にわたって会誌『アンドレ・バザン研究』を刊行し(第1号第2号)、映画研究・批評にとって巨大な存在であるバザンの思索についての考察を深めてきました。

 今回の生誕100周年記念イベントはパート1とパート2に分かれ、東京と山形で1日ずつ開催します。パート1「21世紀のアンドレ・バザンに向けて」では、20世紀中葉の限られた期間しか活動しなかったバザンが、どのような今日的意義を持つのかを考察するとともに、研究会会員による最新のバザン研究の一端を披露します。パート2「映画とアダプテーション――アンドレ・バザンを中心に」では、バザンの中心的なテーマの一つだった「アダプテーション」に焦点を絞り、単なる文学作品の脚色を越えたその諸相を探ります。

 なお、特別ゲストとして、世界的なバザン研究の第一人者であるダドリー・アンドリュー氏(イェール大学)をお招きし、両パートで基調講演をしていただきます。また、東京での基調講演を受けたラウンドテーブルでは、映画監督の濱口竜介氏にも加わっていただき、バザンのアクチュアリティについて討議を行います。さらに、山形ではフランス文学者の吉村和明氏(上智大学)にもゲストとして研究発表を行っていただきます。

【12/5追記】なお、京都文化博物館フィルムシアターでは12月22日(土)に、ダドリー・アンドリュー氏の基調講演や『近松物語』4Kデジタル修復版上映を含む溝口健二生誕120年記念国際シンポジウム「『近松物語』における伝統と革新」が開催されます。詳細は、こちらをご覧ください。


アンドレ・バザン生誕100周年記念イベント


パート1「21世紀のアンドレ・バザンに向けて」

【日時】2018年12月16日(日) 13:00-18:30
【会場】東京大学駒場キャンパス 21 KOMCEE West 地下1階レクチャーホール アクセス キャンパスマップ

【タイムテーブル】
13:00-14:30
基調講演
ダドリー・アンドリュー(イェール大学)「この残酷な世界をめぐるバザンの統合的パースペクティヴ」
Dudley Andrew (Yale University), “Bazin’s Integral Perspective on Our Cruel World”

14:45-16:15
第一部 ラウンドテーブル「バザンのアクチュアリティ」
野崎歓(東京大学)/濱口竜介(映画監督)/三浦哲哉(青山学院大学)/ダドリー・アンドリュー
Kan Nozaki (University of Tokyo), Ryusuke Hamaguchi (Film Director), Tetsuya Miura (Aoyama Gakuin University), Dudley Andrew

16:30-18:30
第二部 研究発表「バザン研究の現在」
堀潤之(関西大学)「バザン以前のバザン――「写真映像の存在論」草稿を読む」
Junji Hori (Kansai University), “Bazin Before Bazin: Reading the Manuscript of ‘Ontology of Photographic Image’ ”

角井誠(首都大学東京)「俳優の逆説――アンドレ・バザンの演技論」
Makoto Sumii (Tokyo Metropolitan University), “Paradox of the Actor: Bazin on Film Acting”

伊津野知多(日本映画大学)「存在に触れるまなざし――観客論としてのバザン的リアリズム」
Chita Izuno (Japan Institute of the Moving Image), “Looking Is Touching: Bazin’s Realism as Theory of Spectatorship”

総合司会:野崎歓
Moderator: Kan Nozaki

入場無料、事前予約不要
日本語・英語(通訳あり)



パート2「映画とアダプテーション――アンドレ・バザンを中心に」

【日時】2018年12月20日(木) 14:00-17:00
【会場】山形大学人文社会科学部1号館3階 301教室 アクセス キャンパスマップ

【タイムテーブル】
14:00-15:00
講演
ダドリー・アンドリュー(イェール大学)「アダプテーションからエクリチュールへ――アンドレ・バザンの成熟」
Dudley Andrew (Yale University), “From Adaptation to Ecriture: the Maturity of André Bazin”

15:10-17:00
吉村和明(上智大学)「可能性としてのアダプテーション――ロベール・ブレッソン『ブローニュの森の貴婦人たち』をめぐって」
Kazuaki Yoshimura (Sophia University), “The Possiblility of Adaptation: On Robert Bresson's Les Dames du bois de Boulogne”

須藤健太郎(首都大学東京)「「不純な映画のために」の仮想敵」
Kentaro Sudoh (Tokyo Metropolitan University), “What Does ‘For an Impure Cinema’ Argue Against? ”

大久保清朗(山形大学)「忠実さをめぐって――フランソワ・トリュフォー「フランス映画のある種の傾向」におけるアダプテーション批判」
Kiyoaki Okubo (Yamagata University), “Adaptation and Fidelity: Truffaut and Bazin in ‘A Certain Tendency of French Cinema’ ”

司会:野崎歓(東京大学)
Moderator: Kan Nozaki (University of Tokyo) 

入場無料、事前予約不要
日本語・英語(通訳あり)



2018/10/09

バザン生誕100周年記念プレイベント「バザン・レリス・闘牛」

 アンドレ・バザン研究会では、バザン生誕100周年記念プレイベントとして、来る2018年11月11日(日)に山形大学にて、 「バザン・レリス・闘牛」と題し、映画『闘牛』の上映とワークショップを開催いたします。本イベントは、前日の11月10日に山形大学にて開催される表象文化論学会第13回研究発表集会の関連イベントでもあります。

 ドキュメンタリー映画『闘牛』La course de taureaux (日本未公開、1951)は、ジャン・ルノワール作品やレネ、トリュフォー、ゴダールらのヌーヴェル・ヴァーグ作品のプロデューサーとして知られるピエール・ブロンベルジェの唯一の長篇監督作品で、ナレーション原稿をミシェル・レリスが書いています。今回、新たに作成した日本語字幕付きでの上映となります。

 レリスのテクストは、1991年にフランスで出版され(Michel Leiris, La Course de Taureaux, Fourbis, 1991)、2006年に再版されています(La Course de Taureaux, Éditions Verdier, 2006)。前者に基づく林栄美子氏による翻訳(「闘牛(第一部)」、「闘牛(第二部)」、『日吉紀要・フランス語フランス文学』 第34号/35号、2002年)は、リンク先の機関リポジトリで入手できます。

 また、バザンがこの作品にインスパイアされて「すべての午後の死」という、映画と死をめぐる短いながらも鋭利なテクストを書いたこともよく知られています(邦訳は『映画とは何かⅡ 映像言語の問題』小海永二訳、美術出版社、1970年に所収)。

 映画上映後には、フランス文学と映画に造詣が深く、レリスの『オランピアの頸のリボン』 (人文書院、1999年)および『ゲームの規則Ⅳ 囁音』(平凡社、2018年)の訳者でもいらっしゃる谷昌親氏の映画解説を行います。

 それに続くワークショップでは、『ミシェル・レリス日記』(全2巻、みすず書房、2001-2002年)やレリス『ゲームの規則Ⅲ 縫糸』(平凡社、2018年)ほかの訳者でもいらっしゃるフランス文学者の千葉文夫氏のほか、当研究会の大久保清朗、角井誠による研究発表およびディスカッションを行います。

 入場無料、事前予約不要のイベントです。皆様のご参加をお待ちしております。


【日時】2018年11月11日(日)
【場所】山形大学(小白川キャンパス) アクセス
    人文社会科学部1号館3階301講義室 キャンパスマップ

【スケジュール】
10:00
  • 上映前挨拶(大久保清朗)

10:05-11:20
  • 映画『闘牛』上映

11:30-12:00 映画解説
  • 谷昌親「映画的生成変化としての闘牛――映画『闘牛』をめぐるA.M.P.M」

13:00-14:00 ワークショップ発表
  • 大久保清朗「劇場としてのドキュメンタリー」
  • 千葉文夫「ミシェル・レリスによる闘牛技、1937-51年」
  • 角井誠 「「存在論的猥褻さ」をめぐって──アンドレ・バザンにおける死の表象」

14:00-14:30 ディスカッション&質疑応答
  • 千葉文夫、角井誠、大久保清朗(司会:谷昌親)

主催:アンドレ・バザン研究会
共催:表象文化論学会、山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所


2018/07/15

Presentation of the André Bazin Workshop

Presentation

In June 2016, we launched the André Bazin Workshop at the Institute for Visual Arts and Science, Yamagata University, Faculty of Humanities and Social Sciences. The group includes ten researchers from various institutions in Japan, who are re-evaluating the entire critical project of the pre-eminent French film critic.

One of our principal activities is the publication of an annual peer-reviewed academic journal Cahiers André Bazin, with original essays on Bazin, new translations of relatively unknown texts written by Bazin himself, and other authors’ essays which have been central to our understanding of Bazin. Our inaugural issue in 2017 focused on a reconsideration of the “politique des auteurs,” introducing—for the first time—seven essential texts on auteur theory hitherto untranslated into Japanese.

In our second issue in 2018, we have thoroughly examined Bazin’s foundational concept of “Ontological Realism,” presenting the first translation of the recently unearthed manuscript of Bazin’s essay “Ontology of the Photographic Image,” with detailed annotation.

In November and December 2018, we are holding symposiums at Yamagata University and the University of Tokyo to celebrate the critic’s centenary. We are delighted to announce that Professor Dudley Andrew will be our keynote speaker in Yamagata and Tokyo. The third issue of the journal will be closely linked to these events.

Members of the Workshop (in alphabetical order by surname)

Goda, Yosuke (Yamagata University)
Hori, Junji (Kansai University)
Izuno, Chita (Japan Institute of the Moving Image)
Kakinami, Ryosuke (Yamagata University)
Kinoshita, Chika (Kyoto University)
Miura, Tetsuya (Aoyama Gakuin University)
Nozaki, Kan (University of Tokyo)
Okubo, Kiyoaki (Yamagata University)
Sudoh, Kentaro (Tokyo Metropolitan University)
Sumii, Makoto (Tokyo Metropolitan University)

Table of Contents of Cahiers André Bazin

Cahiers André Bazin, Vol.1, edited by Kiyoaki Okubo and Junji Hori, 2017
[Special Feature] Rethinking the “Politique des auteurs”
  • Alexandre Astruc, “La naissance de la nouvelle avant-garde: la caméra-stylo,” translated by Junji Hori
  • Roger Leenhardt, “À bas Ford ! Vive Wyler !”, translated by Junji Hori
  • André Bazin, “Rue de l’Estrapade,” translated by Makoto Sumii
  • François Truffaut, “Ali Baba et la ‘politique des auteurs’”, translated by Kiyoaki Okubo
  • André Bazin, “Qui est le véritable auteur du film ?”, translated by Kiyoaki Okubo and Junji Hori
  • André Bazin, “De la politique des auteurs,” translated by Kan Nozaki
  • Andrew Sarris, “Note on the Auteur Theory, 1962,” translated by Chika Kinoshita
*All the translations are accompanied by introductory essays by the translator.

Cahiers André Bazin, Vol.2, edited by Junji Hori, Chita Izuno, Makoto Sumii, 2018
[Special Feature] The Ontological Realism
  • André Bazin, “Pour une esthétique réaliste," translated by Junji Hori
  • André Bazin, “À propos de réalisme,” translated by Junji Hori
  • André Bazin, “Ontologie de l’image photographique (premier état)”, translated and annotated by Junji Hori
  • Junji Hori, “Reading ‘The Ontology of the Photographic Image’ as a Palimpsest: Malraux, Sartre, Bazin before Bazin"
  • Dudley Andrew, “Ontology of a Fetish,” translated by Kentaro Sudoh
  • Hideyuki Nakamura, “Notes on André Bazin’s Concept of ‘présence’”
  • Tom Gunning, “The World in Its Own Image: Myth of Total Cinema,” translated by Tetsuya Miura
  • André Bazin, “La fin du montage,” translated by Chita Izuno
  • André Bazin, “Le Procès du Cinémascope: le Cinémascope n’a pas tué le gros plan,” translated by Chita Izuno
  • Chita Izuno, “André Bazin’s Multi-Layered Concept of Realism”
[Feature] Rethinking the “Politique des auteurs” Part II
  • François Truffaut, “Sir Abel Gance,” translated by Kiyoaki Okubo
  • François Truffaut, “Abel Gance, désordre et génie,” translated by Kiyoaki Okubo
  • André Bazin, “Réflexion sur la critique,” translated by Kan Nozaki
*All the translations are accompanied by introductory essays by the translator.

2018/04/11

『アンドレ・バザン研究』第2号の入手方法

【2021年4月16日追記】。このエントリーに記載のとおり、残部僅少につき、本日をもって『アンドレ・バザン研究』第2号の頒布は終了いたしました。今後、以下の手続きに沿って申し込みをしても、頒布しかねますのでご留意ください。

 『アンドレ・バザン研究』第2号は非売品で、国会図書館および一部の大学図書館を除いて、一般に流通しません。

 入手を希望される方には、実費(送料分)で送付いたします。任意の封書に①『アンドレ・バザン研究』第2号を希望する旨のメモ、②送付希望先の住所・氏名を記載したスマートレター(180円)の2点を封入のうえ、以下の宛先に郵送してください(往信の切手代はご負担ください)。折り返し、封入いただいたスマートレターにて第2号をご送付いたします。

【送付先】
〒990-8560
山形県山形市小白川町1-4-12
山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所内 アンドレ・バザン研究会

※スマートレターは全国の郵便局等でお買い求めください。スマートレター以外の方法による送付はいたしかねますので、必ずスマートレターをご用意ください。
※発送作業は研究所の所員が行うため、出張などにより発送まで10日間程度の期間をいただくこともあります。また、授業期間外の場合、発送まで大幅に時間がかかることもあります。どうかご了承ください。
※このエントリーに記載のとおり、『アンドレ・バザン研究』第1号の頒布は終了しておりますので、ご留意ください。
※残部僅少となった場合、このブログでも告知し、受付を中止します。
以上

2018/04/03

『アンドレ・バザン研究』第2号の刊行

 2016年6月に山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所内に発足したアンドレ・バザン研究会では、その2017年度の成果として、『アンドレ・バザン研究』第2号を刊行しました(発行=アンドレ・バザン研究会、編集=堀潤之、伊津野知多、角井誠、2018年3月31日発行、A5判180頁、ISSN 2432-9002)。なお、本誌は一般には流通しません。入手方法については、後日、本ブログにてお知らせします(【4/15追記】入手方法についてはこちらのエントリーをご覧ください)。


 特集「存在論的リアリズム」では、バザンの最もよく知られた文章の一つ「写真映像の存在論」に特に光を当てています。「写真映像の存在論[草稿]」をはじめとする未邦訳のテクスト5篇を紹介するとともに、研究会会員の論考2篇(堀潤之、伊津野知多)を掲載、さらに会員外から中村秀之氏に研究ノートを寄稿いただいたほか、ダドリー・アンドリュー氏、トム・ガニング氏による論考を訳出しています。

 前号の特集「作家主義再考」を引き継ぐ小特集「作家主義再考2」では、フランソワ・トリュフォーのアベル・ガンス論2篇(うち一篇では、トリュフォーが本文中でおそらく初めて「作家主義」という言葉を使っている)に加え、バザンの晩年のテクスト「批評に関する考察」(これも本邦初訳)を掲載しています。

 目次は以下の通りです。

[特集]存在論的リアリズム
アンドレ・バザン「現実主義的な美学のために」(堀潤之゠訳)
アンドレ・バザン「リアリズムについて」(堀潤之゠訳)
アンドレ・バザン「写真映像の存在論[草稿]」(堀潤之゠訳・注釈)
堀潤之「パランプセストとしての「写真映像の存在論」――マルロー、サルトル、バザン以前のバザン」
ダドリー・アンドリュー「フェティッシュの存在論」(須藤健太郎゠訳)
中村秀之「アンドレ・バザンの« présence »について[研究ノート]」
トム・ガニング「自身の似姿の中の世界――完全映画の神話」(三浦哲哉゠訳)
アンドレ・バザン「モンタージュの終焉」(伊津野知多゠訳)
アンドレ・バザン「シネマスコープ裁判――シネマスコープはクロースアップを殺していない」(伊津野知多゠訳)
伊津野知多「アンドレ・バザンのリアリズム概念の多層性」

[小特集]作家主義再考2
フランソワ・トリュフォー「アベル・ガンス卿」(大久保清朗゠訳)
フランソワ・トリュフォー「アベル・ガンス、無秩序と天才」(大久保清朗゠訳)
アンドレ・バザン「批評に関する考察」(野崎歓゠訳)

 巻頭言は、収録したそれぞれの文章のごく簡潔な内容紹介になっているので、以下、その全文を掲げておきます。

「草稿」に誘われて――第二号イントロダクション
堀潤之

 『映画とは何か』の冒頭に収められている論考「写真映像の存在論」が、バザンのあらゆる文章のうち、最も人口に膾炙したものであることはまず疑いあるまい。とりわけ、写真映像が人の手を介さずに自動的に生成されることによって本質的な客観性を持つという中心的なテーゼは、それがパースのいうインデックス的記号と結びつけて論じられてきたことも含め、芸術批評に関心を持つ多くの読者にとって馴染み深いはずだ。だが、一九四五年に世に出たこの短いテクストは、本当に読まれていると言えるだろうか。「写真映像の存在論」がアリバイ的にタイトルだけ言及され、その片言隻語が我田引水に用いられるさまを私たちは幾度となく目にしてきたのではなかったか。

 今から三年近く前、そんなことを漠然と考えながら、バザンが一九五〇年に上梓した最初の著書『オーソン・ウェルズ』(インスクリプト刊、二〇一五年)の訳出を終えようとしていた折、フランスの映画批評誌『トラフィック』九五号(二〇一五年秋)に掲載された「写真映像の存在論[草稿]」(本号に訳出)を手に取った。一読してたちまち、私たちの知らないバザンが、自身の代名詞となるような決定的なテクストを書こうと奮闘している過程に魅了され、映像をめぐる新たな思想が生まれつつある場に立ち会っているような鈍い興奮さえ覚えた。本号の特集「存在論的リアリズム」の淵源にあるのは、「草稿」との出会いによってもたらされた、こうした感慨である。

 「草稿」が「写真映像の存在論」の似て非なる分身、それゆえに不気味な似姿であるとすれば、特集の冒頭に配置した二篇の小論は、「バザン以前のバザン」が何を研究課題として捉え(「現実主義的な美学のために」)、「写真映像の存在論」の着想をどのように作品分析と結びつけようとしていたか(「リアリズムについて」)を明瞭に示してくれるだろう。「草稿」に続く拙論は、バザンに流れ込んでいる知的系譜を改めて整理したうえで、「草稿」を綿密に読み解いたおそらく世界初の試みである。

 私が出会った「草稿」は誌面に書き起こされた字面にすぎず、そこにはオリジナルの複写であればまだ持ち得たかもしれないアウラの欠片もない。だが、バザン研究の第一人者であるダドリー・アンドリュー氏が形見として一九七四年に譲り受けたサルトルの『想像力の問題』の中からたまたま発見したという、バザン自身によると思われるタイプ打ちの読書メモ(本誌五九頁に複製)には、かすかなアウラが漂っているかもしれない。アンドリュー氏は、自身にとって「フェティッシュ」と化したこのたった一枚の紙片を、バザンがサルトルの呪縛の中で写真、映画、テレビの比較考察を試みたものとして鮮やかに読み解いていく。この読解への返歌とも言える中村秀之氏の研究ノートは、サルトルの想像力論とデリダの現前性批判を視野に入れつつ、「写真映像の存在論」のよく知られた一節を厳密に注解しながら、最終的には、映像が「人類の歴史的投企の所産」であることを等閑視するバザン自身の立論の弱点を指摘している。

 「完全映画の神話」は、「写真映像の存在論」と並んで非常に有名でありながら、論じられる機会は圧倒的に少ない。この論考は、ジョルジュ・サドゥールが映画以前の諸装置を実証的かつ目的論的に紹介した『世界映画全史』第一巻(一九四六年)の書評として書かれながら、著者の意図を裏切ってそこに「自身の似姿の中の世界」の再創造という神話の作用を見出すという軽妙洒脱な論考である。それを、初期映画研究の泰斗であるトム・ガニング氏がその後の研究のアプローチとの差異を剔出しつつアクロバティックに読み解いていくさまは、本号のいちばんの読みどころと言ってもいいかもしれない。

 現実世界をそっくりそのまま再現するという神話には、未来の映像テクノロジーの発展が潜在的に含み込まれている。バザンの時代、その部分的な実現は特にシネマスコープによってもたらされた。一九五〇年代のバザンが当時のニューメディアについて精力的に書いていた記事の中から選んだ二篇の小論を読むことで、彼がどのような観点でシネマスコープにリアリズムの拡張を見て取っていたかがはっきりするはずだ。

 特集のタイトルに冠した「存在論的リアリズム」という言葉は、実はバザン自身はほとんど用いておらず(管見の限りでは『オーソン・ウェルズ』に一箇所、用例がある)、本来であれば、「存在論」と「リアリズム」というそれぞれの用語の使い方を十分に吟味する必要があるだろう。その第一歩とも言いうる伊津野知多氏の論考は、「存在論的リアリズム」を含む複数のリアリズム概念がバザンの中でどのように折り重なっているかを明晰に再構成している。

 小特集「作家主義再考2」は、前号の特集を継続して、異形の映画作家と言うべきアベル・ガンスに焦点を当てた。もはや時代遅れであると囁かれていたサイレント期からの偉大な先達を熱烈に擁護する若きトリュフォーの舌鋒には、今なお迫力がある。ガンスを取り上げたのは、「アベル・ガンス卿」に「作家主義」の語がおそらく初めて登場するからでもある。さらに、本号を締め括る文章として、バザンの実質的な白鳥の歌と言ってよい「批評に関する考察」を置いた。「作家主義」的な批評の創始者とも思われがちなバザンが、批評をより広大な営為として捉え、むしろ「作家主義」に最後まで留保を付けていた点には、もっと注意が払われるべきである。

 二〇一八年末には、生誕百周年を迎えたバザンをめぐるシンポジウムを開催し、アンドリュー氏を招聘することが決まっている。次号はその記録を中心に編まれることになるだろう。

 続いて、角井誠氏による編集後記の全文です。

 「批評家の役割とは存在しない真実を銀の盆にのせて運ぶことではなく、芸術作品の与える衝撃を、読者の知性と感性のできるかぎり遠くにまで届かせることなのである」(本誌一七一頁)――「批評に関する考察」を締め括るこの一節に初めて触れたのは、学部生の頃、背伸びをして読んでいたダドリー・アンドリューによる評伝のなかでのことだったろうか。今よりもずっと頼りないフランス語能力しか持ちあわせていなかったけれど、この一節に出会ったときの震えるような衝撃は今なお私のなかに谺している。私が今こうしてジャン・ルノワールを研究しているのも、バザンのあの美しい「フランスのルノワール」というテクストが私にもたらしたショックの産物以外の何物でもないのだ。もちろん、自分自身がそれを実践できているとは言わないし、今となっては批評に関するバザンの主張すべてに首肯するわけでもないが、先の言葉は今なお私の原点であり、私を導く大切な言葉であり続けている。その一節がこうして野崎歓氏によって日本語に訳されたことを心の底からうれしく思う。バザンのテクストが贈り届ける衝撃――作品の衝撃と彼の思考の衝撃――を読者のなかへできるかぎり遠くまで届かせること、それが本研究会の使命ではないだろうか。

 本号の特集「存在論的リアリズム」については、編者の代表ともいうべき堀潤之氏の巻頭言に詳しいので、ここでは深く立ち入らない。堀、伊津野両会員による緻密な論考、中村秀之氏の研究ノート(と呼ぶにはあまりに濃密なテクスト)、さらにはアンドリューやガニングといった海外の大御所の刺激的な論考の翻訳が並ぶ充実した内容となったことを喜ばずにはいられない。

 今回は裏方に徹することとなったので、ここに至る作業について少し触れておきたい。まず本号の準備のため非公開の研究会を催し、堀氏、伊津野氏、角井が各々の研究の経過を報告するとともに、バザン研究の現状について情報を共有する作業を行った。夏の盛りに青山学院大学の瀟洒な一室で繰り広げられた報告とそれに続く討論は、本号にとって、また本研究会にとってきわめて有意義なものであったと思う。また前号に引き続き、学術誌としての質を担保するため論考や翻訳の綿密なピアレビューも行った(論考については査読を行った)。ここでの「綿密な」という形容詞は文字通りに受け止めてもらって差し支えないと思う。じっさい執筆者や訳者と査読者、編集員のあいだではバザンの解釈や翻訳の細部をめぐって幾度もやりとりが重ねられた。編集作業に携わるなか、何度も読んでわかったつもりになっていたテクストが、精緻で大胆な読解を経て、新たな相貌で現れてくるのに立ち会うのはとてもスリリングな体験だった。どの論考もぜひご一読頂きたい。いずれも今後バザンのリアリズム論について考えるさいの必読文献となるのではないかと思う。

 とはいえ、われわれのバザン再考の作業はまだ端緒に就いたばかりである。二〇一八年はいよいよ(!)バザンの生誕百周年。次の百年に向けて、バザンの衝撃をずっと遠くまで届けられるよう一層励んでゆきたい。(角井誠)
(J.H.)