2019/04/15

【寄稿】バザン生誕100周年記念イベント パート1報告

映画体験に差し込む「光」

——バザン生誕100周年記念イベント「21世紀のアンドレ・バザンに向けて」を振り返って

原田麻衣

バザンの映画論を取り巻く状況

 2018年12月16日、アンドレ・バザン生誕100周年記念イベントの第一部が東京大学で開催された。バザン研究の第一人者であるダドリー・アンドルー氏の基調講演に始まり、「バザンのアクチュアリティ」をテーマとした野崎歓氏、濱口竜介監督、三浦哲哉氏のラウンドテーブル、「バザン研究の現在」として堀潤之氏、角井誠氏、伊津野知多氏の研究発表が行われたこの6時間にわたるイベントは、まさしく「21世紀のアンドレ・バザンに向けて」という題が示すように、バザンの今日的意義を緻密に描き出すものであった。
 個々の内容を紹介する前にまず、バザンの映画論——とりわけリアリズム論——をめぐる学術的な議論について簡単に触れておきたい。ピーター・ウォーレンのバザン解釈以降、「写真とはモデルそのものなのだ」*1と主張するバザンのリアリズム論はしばしば、「インデックス」、つまり、記号とその対象が物理的に結びつくような「指標記号」の概念から捉えられてきた*2。しかしバザンのリアリズム論を記号論の枠組みに閉じ込めるのは困難なようである。例えばノエル・キャロルが言うように、リアリズムの問題を写真映像のインデックス性に還元する見方は、映画の「フィクション性」を見落とすことになりかねない。『M』(フリッツ・ラング、1931年)は主人公を演じたピーター・ローレの表象ではないし、クリスチャン・ディオールの広告に登場するキャラクターが劇作家アンドルー・グレゴリーをモデルにしているからといって、その広告が彼の表象というわけではないのである*3。そこで、近年ダニエル・モーガンをはじめとする論者は、バザンのリアリズム論を「インデックス」の観点から捉えることに疑義を呈している*4。同様の立場から、バザンの主張するリアリズムの構造を鮮やかに図式化した伊津野氏の論考「アンドレ・バザンのリアリズム概念の多層性」*5には注目すべきである。そこで示されているのは、バザンによるリアリズム概念が、「存在論的リアリズム」、「美学的リアリズム」、「心理的リアリズム」の三層から成り立っているということである。「存在論的リアリズム」とは「映画が現実を記録する能力を指す」(113)。そこで問題となるのは、「人間化されていないイメージ(超現実)」であり、「精神的なもや」がつきまとう「人間化された現実のイメージ(一般的な意味での現実)」ではない(123)。そして「映像の「記録」の力を最大限に生かすような映画的「表現」」形式が「美学的リアリズム」である(131)。そのような「美学的リアリズム」によって観客は、「精神的なもや」のかかっていないイメージと対峙し、「知覚の真の条件の中に置き直」され、「日常的な人間の知覚の条件を反射的に意識」するようになる。そうした「現実との関係を再構築するよう私たちを誘う知覚の教育学」が「心理的リアリズム」である(129)。伊津野氏が提示したこの見方は、インデックス性を超えてバザンのリアリズム論を把握することの必要性を強調すると同時に、これまで二分されることの多かったバザンにおける存在論と美学の問題を一体のものとして捉えている点で重要である。そして本イベントで展開されたそれぞれの議論は、こうしたバザン再評価の流れを汲むもので、とりわけ、バザンのリアリズム論の基盤には「存在論的リアリズム」があり、それを前提とした「美学的リアリズム」が機能しているという上に見たような見取り図が共通認識として存在していたといえるだろう。

ポストヒューマン的バザン

左よりアンドルー氏、野崎氏(総合司会)、木下千花氏(通訳)
 アンドルー氏の講演「この残酷な世界をめぐるバザンの統合的パースペクティヴ」(その後、講演に基づく論考が『アンドレ・バザン研究』3号に掲載された)は、「量塊(ヴォリューム)」そして「統合=積分的(インテグラル)」という二つのキーワードを軸にバザンによる論考を空間の問題として考察するものであった。アンドルー氏がまず強調したのは、映画芸術に対するバザンの確信である。バザンは映画について、一貫した形式的な選択を通して統合=積分することで全体の近似値が得られるような現実を描写/図示しうるものと考えていた。つまり、キャメラは人間の知覚を超えた世界/空間のなかを自在に動き、映画はそこに存在する「時空間のかたまり」を提示しているということだ。では「時空間のかたまり」の提示とは具体的にどのようなことを指すのだろうか。それは「美学的リアリズム」の問題にかかわってくる。アンドルー氏が着目したのは「換喩(メトニミー)」や「緩叙法(リトート)」に相当する技法であった。「換喩」とは、ある事物を表すのにそれと深い関係のある事物で置き換える修辞法であり、「緩叙法」とは控えめな表現によってより効果を強める修辞法である。こうした表現はバザンが擁護した映画作品に共通するという。例えば、オーソン・ウェルズ『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)では後景に見えるドアからの人物の退場がアンバーソン家の衰退を示唆しており、ロベルト・ロッセリーニ『戦火のかなた』(1946)ではピエタを彷彿とさせる構図で捉えられた男女——とりわけ、まさに死を迎えようとしている男性から自分の恋人が亡くなったことを告げられる女性の顔——がファシズムに対する勝利や都市の再統一を間接的に表している。つまりこれらの作品において、ある「時空間のかたまり」は、それを超えて存在しうるさらに大きな世界/全体を示しているのである。このようないわば人間の知覚を超えた世界の提示は、非人間的な視点が用意されることでも達成される。その好例が「動物の視点」だという。講演中に挙げられた多彩な例から少し取りあげてみると、例えばジャン・ルノワール『ゲームの規則』(1939)では狩りの帰り双眼鏡を覗いた先に浮気現場の見える有名なシーンがあるが、その少し前に観客は何度かこちらを向くリスと対峙する。このときわれわれは、道徳的な人間の世界を問い直すような「残酷」な視線に貫かれることになる。同様のことはタル・ベーラ『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000)における死んだクジラの目や、さらにはアッバス・キアロスタミ『10 on Ten』(2004)におけるアリの穴についてもいえるとアンドルー氏は指摘した。
 バザンの映画論がポストヒューマンの視座から見直されたこの講演では、「統合=積分的なリアリズム」という概念をもってまさに「バザンの統合的パースペクティヴ」が描出された。バザンの多用した動物や地質学、幾何学にかかわるメタファーの内実を探りつつ、彼の評価した作品が、そしてその延長線上で21世紀の作品までもが「統合=積分的なリアリズム」の観点から読み解かれた点にも注目すべきである。

「メトニミー」とカタストロフ

左より三浦氏、濱口氏、藤原敏史氏(通訳)、アンドルー氏、野崎氏
 三浦氏、濱口監督、角井氏の発表は、おおよそ「存在論的リアリズム」を前提とした「美学的リアリズム」の諸相に主眼がおかれたものだといえよう。三浦氏の発表では、アンドリュー氏の講演を受けて「メトニミー」の問題が深く掘り下げられた。今日の映画において「メトニミー」が有効となっている具体的な題材として提示されたのは「カタストロフ」である。例えば、オニムバス作品『11’09”01/セプテンバー11』(2002)でショーン・ペンが手掛けた短編において、ワールド・トレード・センターの崩壊は、これまで部屋を覆っていた影がみるみる消えてゆき、同時に光が差し込んでくるショットで示される。このショットを含むシーンについて補足的に説明しておくと、そこでは同時に、家族を失い薄暗い自分だけの空間に閉じこもっていた老人が、突如差し込んできた光を浴びて美しく蘇った花に感動するも、それを見せる相手がいないことから孤独を直視する様子が描かれている。それゆえ映画全体のトーンはかなり感傷的であるが、ビル崩壊のショットだけは異なるという。この例をもって三浦氏が明らかにしたメトニミーの意義はおおよそ次の二点に要約されるだろう。まず、メトニミーはショットにおける「想像の対象となる空間」と「現実に存在して発見の対象となる空間」の両義性を可能にする。そしてカタストロフを対象としつつも、ビルの倒壊と老人の築き上げた虚像の崩壊が「空間的配置の変化」のみで示されるがゆえに感傷性に陥ることがないのである。
 さて、この議論の根底にあるのはやはり「見えないものの可視化」にかんする問題である。アンドルー氏は『11’09”01/セプテンバー11』のショットに対応するものとして、ロベルト・ロッセリーニ『イタリア旅行』(1954)における遺跡発掘のシーンを挙げていた。火山の噴火で亡くなった人の体が溶岩のなかに空洞として残り、そこに石膏を流し込んで死者の姿を浮上させる。「ネガ状のもの」から「ポジ」を作り出すことは、バザンにとって失われたものの再現を可能とする唯一の道であったようである。最後に、『11’09”01/セプテンバー11』における影がおそらくCGで制作されていることを言い添えておきたい。この点は、今日の映画におけるCGの使用をバザン的な観点からどのように捉えうるのかという議論の契機となるのではないだろうか。

書かれたせりふと「声」

 濱口監督の発表では、バザンの文章における「両義性」と映画に備わる性質との親和性に目が向けられた。映画のもつドキュメンタリー性とフィクション性は、撮影現場において常に「何を記録し、どの程度断片化するか」という問いをもたらすという。こうした異なる性質の共存からくる現場での苦悩を、バザンは映画について書くうえで共有していたようである。例えば、一見反リアリズムとも思える演劇映画とバザンのリアリズム論との関連性は、せりふ=書かれた言葉に付随する演劇的不自然さをどうするか、という現場での問いに直結すると濱口監督は指摘した。ここでかの有名な論考「演劇と映画」(1951)の詳細を述べることはしないが、バザンの評価した演劇映画とは、要するに「映画にしようとする配慮」*6が見られない作品である。あくまで「演劇に従」*7わなければならず、そのためには「潜在的に演劇である」*8せりふを受け入れることがまずもって重要となる。濱口監督が着目したのは、この「演劇に従う」という表現にみられるバザンの映画観が、1944年に発表された「リアリズムについて」*9ですでに確認できることである。そこではマックス・ランデールの作品やムルナウの『タブウ』(1931)のような作品がまったく古びないのは、「リアリズムに服従」しているからだと説明されている。つまり、機械的な生成によって可能となった写真映像の客観的なリアリズムに従うことで、それらの作品は「瞬間の正確さ」に到達し、それゆえ永続性を獲得しているのである。発表では、この「瞬間の正確さ」——これは広義のアダプテーションにおける存在論的同一性、とも言い換え可能であろう——について二点の具体例が挙げられた。一つは先にも触れた「せりふ」である。せりふに備わる演劇的不自然さを受け入れ試行錯誤を繰り返す。そのプロセスを経て、いわば演劇と映画のアマルガムとしてのせりふがあらわれてくる。もう一つは俳優の身体の内的な状態を露呈するものとしての「声」である。発表では『ジャン・ルノワール』からバザンの文章とルノワールになされたインタヴューが引かれ、こう言ってよければ、俳優と登場人物のアマルガムとなりうる声に対するバザンおよびルノワールの関心が垣間見えた。
 濱口監督の発表を受けてアンドルー氏が言及したのは、バザンのテクストにみられる不純さへの信仰についてであった。バザンは演劇をヨーロッパの大劇場にある大きなシャンデリアに、映画を映画館で足元を照らす懐中電灯に見立てたことがあったという。その意味で演劇の映画化はアマルガムのようなものであり、シャンデリアに懐中電灯を当てるとまた別の光り方をして、映画についても演劇についてもより多くのことを学べるのではないか、というバザンの意識がうかがえるとアンドルー氏は指摘した。そしてそれはプロの役者と素人の組み合わせから、それぞれだけでは持っていない力を作り出す「混合の法則」*10とも重なる。異なる性質をもつものの組み合わせがうまくいけばより鋭いものが出来上がる。こうした思考がバザンのアダプテーション論を支えているのである。

バザンの演技論

左より伊津野氏、角井氏、堀氏、藤原氏(通訳)、アンドルー氏、野崎氏
 「写真とはモデルそのものなのだ」というとき、モデルとは具体的にいかなるものか。濱口監督の発表内容にも通じるこの問いに対し、角井氏の研究発表「俳優の逆説——アンドレ・バザンの演技論」では演技論の観点から答えが提示された。角井氏がまず指摘したのは、バザンが「表現としての演技」を退け、「痕跡としての演技」を評価したことである。前者が「心理の間接的表現」であるのに対し、後者は「魂の直接的翻訳」を指す。ここでもバザンはもっともらしく見せるような「配慮」を批判しているのだ。とはいえ「魂の直接的翻訳」はどのようにして可能となるのか。角井氏によって引かれたバザンのテクストからわかるのは、魂があらわれるのは顔/表皮であるということだ。この発想は、機械的生成によって現実がフィルム/皮膜に刻まれるという発想に合致する。したがってこのとき魂の痕跡としての顔/表皮は、その人物の「インテグラルな存在」を提示することになる。さらにこうした顔/表皮は、「きわめて即物的、身体的で、人間よりも自然や動物、事物の秩序に近しいものとして描き出される」という。発表中に紹介されたバザンのテクストから一部をここに書き出してみると、例えばロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』(1951)における顔の表皮の動きは「出産や脱皮の際の脈絡のない痙攣」*11と記され、カール・テオドア・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(1928)における顔の表皮の動きは「地震の揺れ」や「潮の流れ、満ち引き」に譬えられている*12。心理的表現が剥ぎ落とされ俳優が非人間的なものへ生成変化していくという話は、この日の基調講演でバザンのテクストにおける非人間性が強調されたこともあり、非常に興味深かった。
 とはいえ「魂の痕跡」という場合、その魂は誰のものなのか。それは俳優の魂と登場人物の魂が一致し、両者の区別がつかないものだという。ここで先述の「アマルガム」というタームが思い出される。そして俳優と登場人物が一致する状況を作り出すためにルノワールが採用した方法の一つとして、「イタリア式本読み」があると角井氏は指摘した。ルノワールもまた、ブレッソンと同様に、俳優から心理的表現を剥ぎ落とし、非人間化することで、俳優と登場人物が魂の次元で一致することを目指したのである。
 アンドルー氏はさらに追求できることとして、サイレントからトーキーへ移行する時期の作品において、内面にあるものがどのように外面の痕跡としてあらわれているか、そしてその形態はどのように発展したかという問題を挙げていた。それはまた、濱口監督が提示した声の問題とも接続する。さらに、ブレッソンとルノワールが、表現としての演技を避けるという共通の意識——ブレッソンは「モデル」にジェスチャーを繰り返させ、ルノワールはイタリア式本読みを取り入れた——を持っていたのにもかかわらず、出来上がった作品はまるで違うことについても言及された。バザンが「より多くの現実をスクリーンに現出させようとするシステム、あらゆる技法を「リアリズム的」と呼びたい」というとき、「同じ対象、同じ出来事について、さまざまに異なる表現が可能である」と続けた一節を思い出した*13

バザンのテクストの生成研究

 堀氏の研究発表「「写真映像の存在論」再考——アンドレ・バザンにおける運動と静止」は「存在論的リアリズム」の問題に深く関わるもので、「写真映像の存在論」における写真と映画、運動と静止の関係性が検討された。まず「写真映像の存在論」には三つのヴァージョンがあるという。一つは1945年に『絵画の諸問題』に掲載されたもの。もう一つはそこから改稿され1958年に『映画とは何か』に収められたもの。そして、1944年の前半に執筆されたと思われる草稿*14である。そしてこの草稿が重要なのは、「写真映像の存在論」ではやや不明瞭となっている映画と写真の関係性をより詳細に語ろうとしているからだ。そこでは完成稿にはない「凝固」と「流動」のメタファーが使用され、映画装置のメカニズムについて考察されている。詳細はぜひ草稿とそれをめぐる堀氏による論考*15を参照していただきたいが、バザンは映画を、「「死んだ時間の断片」を集積し、それに「一時的な流動性」を与える「機械仕掛け」」として考えていた。ここで堀氏は、映画装置を「一枚一枚の不動の写真に「運動」を付与するもの」とするベルクソンの思考にバザンの主張との近似をみる。しかし続いて指摘されたのは、両者の決定的なずれであった。バザンは写真を、「事物の外見とともに、その外見が沈み込んでいるところの時間それ自体がとらえられている」*16ものとして把握した。つまり、写真も持続の側に位置づけられるのだ。したがって、「写真映像の存在論」完成稿に書きつけられた「映画とは、写真的客観性を時間において完成させたものである」*17という一文は文字通りの意味で把握されるという。
 しかし留意すべきは、バザンが「写真映像の存在論」の完成以降、「凝固」と「流動化」のメタファーを削除し、「型取り」という発想を取り入れたことである。写真は「瞬間」を、映画は「持続」を型取りする。ここで言及されたのは、『創造的進化』から七年後に行われたというインタヴュー*18で語られたベルクソンの映画観である。そこでは、シネマトグラフが「静止画像に「運動」という要素を加えたものとしてではなく、「唯一のものへと融合」された持続を一挙にとらえるものとして構想」されている。そしてそれは、持続をひとかたまりに型取りするというバザンの発想に共鳴するのである。
  アンドルー氏は、「写真映像の存在論」がバザンにおける最も重要な文献であると同時に映画を論じた文献のなかでもとりわけ重視すべきものだと言及した。そこには歴史的理由があるという。このエッセイはかなり初期に書かれ、2700もの文献が時系列順に収められたバザン全集*19の第25番目にあたる。そしてバザンが最も時間をかけて書き上げた文章でもあった。アンドルー氏によれば、「写真映像の存在論」の草稿は1944年6月にはすでに用意されていたという。というのも、「写真映像の存在論」の初出は『絵画の諸問題』*20においてだが、そもそもこの論集については、1944年6月の刊行が目指されていたそうだ。しかし、戦争の影響がその試みを許さず、論集の発表は見送られてしまった。
 また、45年版と58年版を詳細に比較したエルヴェ・ジュベール゠ローランサン*21が、はるかに若い時期に書かれた前者ではよりラディカルでシュルレアリスト的なバザンの思考がうかがえる、と述べていることにも言及し、バザンのテクストにかんする生成研究の重要性が指摘された。

バザンのリアリズムと観客

 伊津野氏の研究発表「存在に触れるまなざし——観客論としてのバザン的リアリズム」では、バザンのリアリズム概念を構成する「存在論的リアリズム」、「美学的リアリズム」、「心理学的リアリズム」の内実および関係性が明快に解説され、そのうえでそうしたバザン的リアリズムが観客論の視座から読み解かれた。三層から成り立つリアリズム論の概要は冒頭に触れたところと重なるため、ここでは「映像を介して現実と対峙する観客の問題」に的を絞りたい。伊津野氏によれば、「心理的リアリズム」というときの「心理」とは、「観客が映像に写された現実に向かい合う際の、いわば「体感」のようなもの」だという。濱口監督、角井氏の発表からも確認したように、バザンは「映画にしようとする配慮」やもっともらしく見せようとする表現、言い換えれば人間の手を介し「錯覚」として世界を再創造することを批判した。これらは作り手に対する要請であるが、観客にも同様に、「精神のもや」のかかった知覚を乗り越え、人間化されていない世界=「潜在的な現実」を「本物の幻覚」として知覚するように求めたのである。その意味で「バザンのリアリズムは観客にとって一種の「異化効果」となる」*22。そして、こうした観客の映画体験が「映画を見ること」であると考えれば、バザンの主張する「完全映画」の理解にも繋がるという。バザンは「芸術家の恣意的解釈という障害や、時間の不可逆性から解き放たれた似姿(イメージ)」が作り出される「総合的なリアリズム(réalisme intégral)」を「完全映画」という言葉で表した*23。ここまでに見てきたとおり、個別の視座によってとらえられる時空間のかたまりを「統合=積分(インテグラル)」することで、映画は到達しえない全体の近似値を示すことができる。そのとき、観客の映画体験は「心理的に拡張された身体感覚」となるのである。こうした「体感」とは例えば、バザンがルノワールの『素晴らしき放浪者』(1932)について書いた一節から確認できるという。この白黒映画で示される水にかんしてバザンは、「黄色がかった緑黄色の水」とあらわし、「我々にも少しずつ、その水の心地よさや深さやなまぬるさまでもが感じられる」と記述している*24。伊津野氏はこの状況こそ、観客を知覚の真の条件下に置くものであり、そのとき観客は「まなざしを通して存在に触れることになる」と指摘した。こうした感覚の「拡張」は4DXやVRによる人間的知覚の「増幅」とは本質的に異なるのである。
 アンドルー氏からは、「幻覚」がバザンにとって特別な現象であったことが補足された。バザンがブルトンやフローベールについて書いた文章では、錯覚によって作られたものよりもさらに大きな幻覚を表現することができる、という考え方が確認できるという*25。また、病弱だったバザンはしばしば高熱にうなされ、幻覚を見ることがあったようである。そして、同様の経験をしていたというフローベールにバザンは親近感を抱いており、両者とも幻覚が起こる前段階の知覚体験に関心を持っていたのではないか、と指摘された。さらに、両者の共通点として「視点の推移」が挙げられた。フローベールにおいては人物の視点に作家の視点が入り込み(自由間接話法)、バザンにおいては人物から動物の視点へという発想がうかがえる。バザンとフローベールの独特のリアリズムが「幻覚」の観点から読み解かれることは非常に興味深い。


 シンポジウムの最後に、フロアから「映画理論家ではなく、映画批評家としてのバザンについてどう考えるか」という質問がなされた。アンドルー氏によれば、雑誌や新聞で活躍していたバザンは、読者へのサービスもあって、俳優の演技について多くの記事を執筆していたという。それゆえ形だけのものも多いというが、「全体を見ればバザンの演技観がより理解できるように思われる」と述べていた。そして、印象的なのは、「バザンの批評を読むうえで確実に約束できることがある」と言い添えたことである。「どんなにささいな記事でも、必ずどこか一つには光があり、それは刺激的な読書体験をもたらす」。それがバザンのテクストであり、膨大な批評記事からは、いかにバザンが一貫する主張を持っていたかがみえてくるという。
 今回のシンポジウムの意義はなんといっても、バザンの映画論全体を様々な視点から一挙に見られたことにある。その結果気づかされたのは、バザンのテクストそのものが「インテグラル」なものであるということだ。そしてそこでは「曖昧さ」よりも「一貫性」が目立つように思われた。ついに全集が出版されバザンによるすべてのテクストを享受できるようになった今、映画批評や映画研究、そして映画体験に差し込むであろう「光」をたどっていくことが楽しみでならない。



*1 アンドレ・バザン「写真映像の存在論」、『映画とは何か(上)』野崎歓・大原宣久・谷本道昭訳、岩波文庫、2015年、18頁。
*2 例えばMary Ann Doane, The Emergence of Cinematic Time: Modernity, Contingency and the Archive (Cambridge, MA: Harvard University Press, 2002).
*3 Noël Carroll, Philosophical Problems of Classical Film Theory (Princeton: Princeton University Press, 1988), 148-149.
*4 Daniel Morgan, “Rethinking Bazin: Ontology and Realist Aesthetics,” Critical Inquiry 32, no. 3 (Spring, 2006): 443-481.
*5 伊津野知多「アンドレ・バザンのリアリズム概念の多層性」、『アンドレ・バザン研究』2号、2018年、111-136頁。
*6 バザン「演劇と映画」、『映画とは何か(上)』、234頁。
*7 同書、285頁。
*8 同書、231頁。
*9 アンドレ・バザン「リアリズムについて」堀潤之訳、『アンドレ・バザン研究』2号、8-11頁。
*10 バザン「映画におけるリアリズムと解放時のイタリア派」、『映画とは何か(下)』野崎歓・大原宣久・谷本道昭訳、岩波文庫、2015年、89頁。
*11 バザン「『田舎司祭の日記』とロベール・ブレッソンの文体論」、『映画とは何か(上)』、194頁。なお、訳の改変は発表者に従う(以下同様)。
*12 バザン「演劇と映画」、273頁。
*13 バザン「映画におけるリアリズムと解放時のイタリア派」、95頁。
*14 アンドレ・バザン「写真映像の存在論[草稿]」堀潤之訳・注釈、『アンドレ・バザン研究』2号、15-29頁。
*15 堀潤之「パランプセストとしての「写真映像の存在論」——マルロー、サルトル、バザン以前のバザン」、『アンドレ・バザン研究』2号、2018年、30-55頁。
*16 バザン「写真映像の存在論[草稿]」、16頁。
*17 バザン「写真映像の存在論」、18頁。
*18 Louis-Georges Schwartz, “‘Henri Bergson Talks to Us About Cinema,’ by Michel Georges-Michel from Le Journal, February 20, 1914,” Cinema Journal 50, no. 3 (Spring 2011): 81-82.(大石和久「映画を語るベルクソン——「アンリ・ベルクソンが映画について語る」翻訳と注釈」、『北海学園大学人文論集』61号、2016年、4-5頁)
*19 André Bazin, Écrits complets, ed. Hervé Joubert-Laurencin (Paris: Macula, 2018).
*20 Gaston Diehl, ed., Problème de la Peinture (Lyon: Confluences, 1945).
*21 Hervé Joubert-Laurencin, Le sommeil paradoxal: Écrits sur André Bazin, (Montreuil: Éditions de l’œil, 2014). なお、「写真映像の存在論」の草稿はジュベール゠ローランサンによって『トラフィック』誌に掲載され、その際、詳細な解説も添えられた。この点にかんしては前述の「写真映像の存在論[草稿]」における堀氏による注釈および解題を参考にされたい。
*22 バザンのリアリズム論と「異化効果」の関連性は、伊津野知多「仕掛けとしての現実性:アンドレ・バザンの演劇映画論をめぐって」(『映像学』第64号、2000年)でも仔細に考察されている。
*23 バザン「完全映画の神話」、『映画とは何か(上)』、31頁。
*24 バザン『ジャン・ルノワール』奥村昭夫訳、フィルムアート社、1980年、100頁。
*25 この指摘はジャン゠フランソワ・シュヴリエによる。Jean-François Chevrier, “The Reality of Hallucination in André Bazin,” in Opening Bazin, eds., Dudley Andrew and Hervé Joubert-Laurencin (Oxford: Oxford University Press, 2011), 42-56.



【著者プロフィール】
原田 麻衣(はらだ・まい)
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍。論文に「トリュフォー作品における脚ショットと女性像」(CineMagaziNet! No. 21、2018年)、「トリュフォー作品におけるカメラムーヴメントの説話的機能」(第69回美学会全国大会若手研究者フォーラム発表報告集、2019年)がある。

2019/04/12

『アンドレ・バザン研究』第3号の入手方法

 『アンドレ・バザン研究』第3号は非売品で、国会図書館および一部の大学図書館を除いて、一般に流通しません。

 入手を希望される方には、実費(送料分)で送付いたします。任意の封書に①『アンドレ・バザン研究』第3号を希望する旨のメモ、②送付希望先の住所・氏名を記載したスマートレター(180円)の2点を封入のうえ、以下の宛先に郵送してください(往信の切手代はご負担ください)。折り返し、封入いただいたスマートレターにて第3号をご送付いたします。

【送付先】
〒990-8560
山形県山形市小白川町1-4-12
山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所内 アンドレ・バザン研究会

※スマートレターは全国の郵便局等でお買い求めください。スマートレター以外の方法による送付はいたしかねますので、必ずスマートレターをご用意ください。

※発送作業は研究所の所員が行うため、出張などにより発送まで10日間程度の期間をいただくこともあります。また、授業期間外の場合、発送まで大幅に時間がかかることもあります。どうかご了承ください。

※このエントリーに記載のとおり、『アンドレ・バザン研究』第1号の頒布は終了しておりますので、ご留意ください。

※第2号はまだ残部があります。第2号もあわせて入手を希望される場合は、メモにその旨記載のうえ、送付希望先の住所・氏名を記載したスマートレターをもう一部封入してください。厚さの関係で、第3号と第2号を一つのスマートレターに同梱することができませんので、ご留意ください。

※残部僅少となった場合、このブログでも告知し、受付を中止します。
以上

2019/03/31

『アンドレ・バザン研究』第3号の刊行

 2016年6月に山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所内に発足したアンドレ・バザン研究会では、その2018年度の成果として、『アンドレ・バザン研究』第3号を刊行しました(発行=アンドレ・バザン研究会、編集=木下千花、堀潤之、角井誠、2019年3月31日発行、A5判104頁、ISSN 2432-9002)。なお、本誌は一般には流通しません。入手方法については、後日、本ブログにてお知らせします(【付記】入手方法についてはこのエントリーをご覧ください)。


 本号は、バザン生誕100周年記念イベントとして2018年12月に行った二つのイベントを中心に編まれています(詳しくは以下の「編集後記」をご覧ください)。目次は以下の通りです。

ダドリー・アンドルー「この残酷な世界へのバザンのインテグラルな視座」(木下千花・堀潤之゠訳)
野崎歓「〈インテグラル・バザン〉と出会うために――ダドリー・アンドルーの問いかけ」
三浦哲哉「メトニミーについて――ダドリー・アンドルー講演の余白に」
濱口竜介「曖昧な映画の書き手」

[小特集]映画とアダプテーション
アンドレ・バザン「脚色、あるいはダイジェストとしての映画」(堀潤之゠訳)
吉村和明「アダプテーションの冒険――ロベール・ブレッソン『ブローニュの森の貴婦人たち』をめぐって」
須藤健太郎「映画は疑問符のなかに――「不純な映画のために」再読序説」

 巻頭言は、収録したそれぞれの文章のごく簡潔な内容紹介になっているので、以下、その全文を掲げておきます。

インテグリティについて――第三号イントロダクション
木下千花

 アンドレ・バザンの生誕100年であり歿後60年であった2018年、研究会の活動の一つの軸となり、本号の中心になったのは、バザン研究のまさに泰斗であるダドリー・アンドルー氏(*)の招聘である。 日本学術振興会外国人研究者招へい事業の助成により12月に三週間近くに亘って滞在したアンドルー氏は、16日に東京大学駒場キャンパスで開催されたシンポジウム「21世紀のアンドレ・バザンに向けて」を皮切りに、山形大学小白川キャンパスにおける「映画とアダプテーション――アンドレ・バザンを中心に」(20日)、さらに京都文化博物館では溝口健二の生誕120年を記念する国際シンポジウム「『近松物語』における伝統と革新」(22日)と、たて続けに密度の高い講演を行い、討議に参加しては深い学識を惜しげもなく披露した。東京と山形におけるバザン関連のイベントについては角井誠氏も本号編集後記で紹介しており、詳細は本研究会ブログに報告が掲載予定なので参照されたい。

 本号の巻頭では、アンドルー氏が東京での基調講演をさらに推敲した原稿「この残酷な世界へのバザンのインテグラルな視座」を木下が堀潤之氏の協力を得て訳出した。この論文はアンドルー氏のバザン論として現時点で最新のものであり、世界に先がけて英語よりも早く世に出ることになる。アンドルー氏は1980年代以降のフランス語圏および英語圏におけるバザンの受容を、映画を持続と変容のメディウムとして捉えた理論家としての「時間のバザン」から、エコクリティシズムや思弁的実在論の先駆としての「ポストヒューマン的バザン」への流れとして整理する。後者の潮流に棹を差しつつアンドルー氏が提示するのは、人間とそれ以外の生物たちの多様な視座(パースペクティヴ)と時間性が併存する「空間」を鍵とするバザンの読み直しだ。『戦火のかなた』(1946)や『ゲームの規則』(1939)のようなバザンの映画批評としては定番のタイトルが、視座を変えることでその相貌を一変させ、新たな事物の配列と細部が鮮やかに浮上する。さらに、非人間の視座から空間を見つめる「残酷の映画」として『象は静かに座っている』(2018)をはじめとした今世紀の作品が俎上に載せられる。

 このように、抽象度の高い理論を展開すると同時に現代においてバザン批評を継続するアンドルー氏は、野崎歓氏と三浦哲哉氏というきわめて相応しい対話者を得た。野崎氏はアンドルー講演の壮大なスケールと難解さをまさにバザンの映画論自体に由来するものとして正面から受け止め、その宇宙と生き物たちへの言及をシュルレアリスムからハリウッド映画へと縦横無尽に接続してゆく。三浦氏はアンドルー氏が取り上げた修辞のうち換喩(メトニミー)に着目して援用し、『11'09''01/セプテンバー11』(2002)の「アメリカ篇」(ショーン・ペン)のような現代映画における「影」が、隠喩でもメタ映画的仄めかしでもなく、空間的なリアリズムを達成していることを示唆する。

 濱口竜介氏のバザン論は、現代の世界映画を代表する監督と映画史上最も偉大な批評家の邂逅であり、僥倖というよりほかない出来事である。濱口氏の実践に基づく理論は、まさにアンドルー講演がしたのと同じしかたで、バザンの演技論の核心を射貫いてその可能性を拡張し、演技を演技として記録することによって生み出される「リアリズム」の残酷で猥褻な美を明らかにする。

 本号の小特集はアンドルー氏がバザンから継承したもう一つの重要なテーマである翻案(アダプテーション)を取り上げる。堀氏による「脚色、あるいはダイジェストとしての映画」の翻訳は、バザンの主要論文の一つでありながら邦訳のなかった脚色゠適応(アダプテーション)論を精緻な手さばきによって明晰な日本語に変換し、メディアミックス時代の――それゆえにこの論文の真価をまさに理解しうる――読者へと送り届ける。吉村和明氏と須藤健太郎氏の論考は山形での発表を発展させたものである。吉村氏の『ブローニュの森の貴婦人たち』(1945)論は、ドニ・ディドロを原作とするロベール・ブレッソンの映画において「ふたつのリアリズムが互いを破壊し合」う、というバザンの言葉を手がかりにしたテクスト分析であるが、その鳥肌が立つような繊細さは、まさに分析対象を擬態するかのようだ。須藤氏による「不純な映画のために」再読は、よく知られているはずのこのバザン論文には「不純な映画」という言葉は一度も登場しないという「目から鱗」の指摘から説き起こし、「純粋/不純」をめぐる1930年代以降のフランス映画文化の文脈を辿ることで、バザンの批評的戦略を明らかにする。

 1945年にカリフォルニアに生まれたアンドルー氏は、博士論文の研究を発展させた評伝『アンドレ・バザン』(1978年)をオックスフォード大学出版から上梓して以来少なく見積もって40年間、バザン研究を継続してきた。一方、アンドルー氏はフランス映画史、映画理論、溝口をはじめとした世界映画(ワールドシネマ)など複数の分野の第一人者であり、デイヴィッド・ボードウェルに始まってD・N・ロドウィック、メアリ・アン・ドーンなどの錚々たる研究者を育て、英語圏におけるアカデミックな映画研究を草創期から第一線で牽引してきた。だが、まさにアンドルー氏が立役者の一人となった今世紀初頭の世界的なバザン・ルネッサンスを経た現在では想像し難いことだが、単行本化されずに様々な媒体に散らばったバザンの批評を収集し読み続ける営為が、映画研究の中心という地位にそぐわなく見えた時代は確かに存在した。さらに言うと、芸術領域間のヒエラルキーやオリジナリティの神話が崩壊しニューメディア研究が興隆した今でこそ、翻案研究はもてはやされているが、長いこと、映画原理主義者には純潔を疑われる一方で、文学研究者には軽んじられ密猟される不幸な領域であった。

 アンドルー氏は、常に最新のトレンドと切り結び、多様な方法論と寛容な対話を続けつつ(アンドルー氏の「あの学生はいつも私とまったく反対のことを言う」という言葉は絶賛である)、決してブレない。ダドリー・アンドルーには、アンドレ・バザンをあたかも擬態したかのような高潔さ(インテグリティ)がある。

*本誌第二号において、さらにアンドルー氏招聘事業の一連の告知において、Andrewに「アンドリュー」の表記を当ててきたが、現在の慣用に照らし、本人にも確認したうえで、「アンドルー」に改める。近藤耕人氏のご指摘に感謝する。さらに第一号において木下が批評を訳出したAndrew Sarrisの名も「アンドリュー」ではなく「アンドルー」たるべきであった。(思えばこの聖アンデレに由来する名はバザンとも共通している。)ここに謹んでお詫びするとともに、訂正したい。

 続いて、角井誠氏による編集後記の全文です。

 アンドレ・バザンの生誕100周年にあたる2018年は、本研究会にとって充実した年となった。11月のプレイベントを皮切りに、12月にはバザン研究の大家であるダドリー・アンドルー氏を迎えて盛大な生誕百周年記念イベントを行った。本号はそれらのイベントを出発点として編まれたものである。「作家主義再考」、「存在論的リアリズム」を掲げてバザンの思想を掘り下げてきた前二号とは些か趣を異にしつつも、アンドルー氏や濱口竜介監督の寄稿もあり、これまた充実した号となったのではないかと思う。

 ここでは、2018年度の本研究会の活動を簡単に振り返っておきたい。11月には表象文化論学会の研究発表集会の関連イベントとして山形大学において生誕100周年プレイベント「バザン、レリス、闘牛」が開催された。ピエール・ブロンベルジェとミリアムによる『闘牛』(1951、日本未公開)の上映に続いて、この映画について「すべての午後の死」という短いながらも重要なテクストを残したバザンと、同作のナレーションを執筆したミシェル・レリスの二人をめぐって、谷昌親氏、千葉文夫氏、大久保清朗氏、角井による解説、発表が行われた。バザンの映画論について思索を深めるばかりでなく、レリスとの遭遇によってバザンの思想をより広い文脈へと開く機会ともなった。このイベントに関連する論考は本号に含まれていないが、表象文化論学会のニューズレター『REPRE』35号に東志保氏による報告が掲載されているので、ぜひそちらもご覧頂きたい。

 12月の生誕100周年記念イベントは二部に分けて開催された。第一部「21世紀のアンドレ・バザンに向けて」は12月16日に東京大学駒場キャンパスで開催され、アンドルー氏の刺激的で野心的な基調講演、それを受けての濱口竜介監督、野崎歓氏、三浦哲哉氏によるラウンド・テーブル、そして堀潤之氏、伊津野知多氏、角井による研究発表と、合計五時間にわたって濃密な講演、発表が繰り広げられた。そして12月20日には、山形大学において第二部となる「映画とアダプテーション――アンドレ・バザンを中心に」が開催された。こちらもアンドルー氏の講演に続き、吉村和明氏、大久保清朗氏、須藤健太郎氏による発表が行われた。本号は、この100周年記念イベントに基づいている(第二部については、脚色をめぐるバザンの未邦訳論考も合わせて小特集とした)。多くの方にご来場頂き、イベントはいずれも盛会に終わった。本研究会の活動が、バザンへの関心を高めることに貢献できているとしたら、これほどうれしいことはない。

 しかし100周年は一つの節目に過ぎない。バザンの可能性を現在において、そして未来に向けて読み直す作業に終わりはないのだ。それに、われわれのもとにはついに(!)、ずいぶん前から刊行が噂されていた待望のバザン全集が届けられたではないか(Écrits complets, édition établie par Hervé Joubert-Laurencin, Éditions Macula, 2018)。それはいまや真っ黒な箱に収められた重厚な二巻本として紛れもなく存在し、読まれることを待っている。バザン再考の作業はここから新たに始まるのだ。
(J.H.)

2019/01/08

ピエール・エベール監督『バザンの映画』上映会のお知らせ

 2019年1月18日(金)に、京都大学映画コロキアムの一環として、以下の通り、カナダのアーティスト・映画監督のピエール・エベール氏をお招きして、『バザンの映画』(2017)の上映会を行います。入場無料・来聴歓迎です。お気軽にご参加ください。

京都大学映画コロキアム 
ピエール・エベール監督『バザンの映画』上映会

2019年1月18日(金)16:15-18:15(開場16:00)
京都大学吉田南キャンパス
楽友会館2階会議・講演室(構内マップ96番の建物です。近衛通からお入りください。)

上映
ピエール・エベール『バザンの映画』(Pierre Hébert, Bazin's Film, 2017, 71 min.)
※音声フランス語、英語字幕付きでの上映となります(日本語字幕なし)。

講演と討議
ピエール・エベール(アーティスト・映画監督)
聞き手:木下千花(京都大学)、堀潤之(関西大学)
※講演は英語で行われます(通訳なし)。

概要
 映画批評家アンドレ・バザン(1918-58)は、死の直前に、フランス南西部のサントンジュにおけるロマネスク教会についての中篇ドキュメンタリー映画の制作を構想し、プロデューサーのピエール・ブロンベルジェの出資で、1958年4月と7月に当地でロケハンを行いました。作品が完成に至ることはなかったものの、その時に撮られた写真やノートが現在も残っているほか、映画の構想を綴った文章は、歿後に『カイエ・デュ・シネマ』100号に掲載されています(André Bazin, « Les églises romanes de Saintonge : projet de film d'André Bazin », Cahiers du cinéma, nº 100, octobre 1959, p.55-61)。
 ピエール・エベール監督による『バザンの映画』は、氏の構想する「場所とモニュメント」シリーズの一環をなすドキュメンタリー・エッセーです。バザンが遺した資料、現在のサントンジュの風景、さらにはドローイングやアニメーションが重ね合わされ、バザンの「脚本」がマイケル・ロンズデールの声によって朗読される――それによって、未完に終わったバザンの映画のありえたかもしれない姿が垣間見えると同時に、サントンジュという場所とそこにある建造物の過去と現在が詩的に浮かび上がってきます。
 本上映会では、『バザンの映画』上映後、監督ご本人にその制作背景を語っていただきます。

共催
京都大学映画コロキアム、アンドレ・バザン研究会、科研費・基盤研究(C)「シネフィリーの時代におけるフランス映画批評の総合的研究」17K02394(研究代表者:堀潤之)