2022/03/31

『アンドレ・バザン研究』第6号の刊行

 アンドレ・バザン研究会では、2021年度の(そして最後の)成果として、『アンドレ・バザン研究』第6号を刊行しました(発行=アンドレ・バザン研究会、編集=堀潤之、伊津野知多、角井誠、2022年3月31日発行、A5判184頁、ISSN 2432-9002)。なお、本誌は一般には流通しません。入手方法については、後日、本ブログにてお知らせします(【追記】入手方法についてはこちらのエントリーをご覧ください)。


 本号の目次は以下の通りです(解題は目次には非掲載)。

[特集]バザンの批評的実践
アンドレ・バザン「映画批評のために」(野崎歓゠訳)
      解題「アンドレ・バザンの出発」(野崎)
アンドレ・バザン「マルセル・カルネ『陽は昇る』」(角井誠゠訳)
      解題「批評と教育――アンドレ・バザンとシネクラブ運動」(角井)
アンドレ・バザン「解放以降のフランスにおけるシネクラブ運動」(須藤健太郎゠訳)
アンドレ・バザン「アヴァンギャルドの擁護」(須藤健太郎゠訳)
      解題「〈オブジェクティフ49〉の野心と冒険」(須藤)
アンドレ・バザン「フィルモロジーのフィルモロジー序説」(堀潤之゠訳)
      解題「批評と研究――バザンのフィルモロジー批判」(堀)
土田環「「アヴァンギャルド」という未知への投企――アンドレ・バザンと映画祭」
岡田秀則「《映画博物館》の誕生――パリ、メッシーヌ大通り七番地のアンドレ・バザン」
坂本安美「人間の声――アンドレ・バザンから始まる批評的実践」

[小特集]バザンと日本映画
アンドレ・バザン「日本の教え」(野崎歓゠訳)
アンドレ・バザン「『地獄門』」(大久保清朗゠訳)
      解題「アンドレ・バザンによる日本映画受容」(野崎)
アンドレ・バザン「『原爆の子』――黙示録への巡礼」(大久保清朗゠訳)
アンドレ・バザン「『おかあさん』――日本のネオレアリズモ」(大久保清朗゠訳)
アンドレ・バザン「『蟹工船』――日本の「ポチョムキン」」(大久保清朗゠訳)
アンドレ・バザン「『狂った果実』――戦後の日本の若者たち」(大久保清朗゠訳)
      解題「バザンと日本の「ネオレアリズモ」――「作家主義」から離れて」(大久保)
アンドレ・バザン「『西鶴一代女』」(木下千花゠訳)
      解題「作家の名――「溝口」の発見」(木下)

 巻頭言は、収録したそれぞれの文章のごく簡潔な内容紹介を含んでいるので、以下、その全文を掲げておきます。

「戦闘的バザン」の教え――第六号イントロダクション
堀潤之

 2016年から足かけ7年にわたって活動してきたアンドレ・バザン研究会の活動の締め括りとして、本号の特集ではバザンが生涯をかけて取り組んだ「批評」という営みそのものを取り上げることにした。

 批評をめぐるバザン自身の文章としては、彼の最後のテクストの一つ「批評に関する考察」(本誌第二号に訳出)がよく知られている。だが、自らが携わる批評という営為を自己反省的に考察する「メタ批評」を、バザンが最初期にも手掛けていたことはそれほど知られていない。特集の冒頭を飾る「映画批評のために」は、本格的な批評をようやく書き始めたばかりの若きバザンがまさにそのような「批評の批評」を試みた意気軒昂な文章である。現下の映画批評の質の低さを嘆き、批評がどうあるべきかを綱領的に示す弱冠25歳のバザンは、自分がこれからどのような批評活動を展開し、それがどのような意義をもつのかをすでに見抜いていたかのようだ。その知的洞察に読者は感嘆を禁じえないだろう。

 先にも触れた晩年の「批評に関する考察」は主として活字による批評を対象としているが、その冒頭付近に「私はシネクラブでの討論も批評の一種と考えている」と記されていたことにも注意を促したい。実際、本特集が詳らかにするように、シネクラブを介して古典や現代の重要作の意義を観客に理解させることは、バザンにとって、文章の執筆と両輪をなす批評行為だった。本特集を「バザンの批評的実践」と銘打ったのは、彼の批評がエクリチュールの生産にとどまらず、観客とじかに接する実践の場にも及んでいたことを強調するためである。

 バザンは占領下からさまざまなシネクラブの活動に参与し、重要作の解説に邁進した。その明晰さによって聴衆を魅了したと言われる彼の解説は、具体的にどのようなものだったのか。管見の限り、映像も音声も残されていないその様子は、立ち会ったことのある人々の証言など(その一端は、本特集で坂本安美氏が紹介している)から想像するほかないのだが、ここに掲載した「マルセル・カルネ『陽は昇る』」は、何度も繰り返し行った同作品の解説を口述筆記でまとめたものであり、バザンの肉声が聞こえてくるような文章となっている。とりわけ舞台装置の役割を重視したその作品読解は、具体的な細部に寄り添った啓発的なもので、作品体験を豊かにしてくれる見事な内容だ。

 続く「解放以降のフランスにおけるシネクラブ運動」は、シネクラブの歴史的、教育的な意義を考察した文章で、「メタ批評」のシネクラブ版とも言えよう。自らの実践をつねに一歩引いたところから眺めて検討を怠らないバザンの知的誠実さの現れでもある。そのバザンが、おそらく実践面で最も先鋭的な振る舞いに打って出たのが、伝説的なシネクラブ〈オブジェクティフ49〉の創設であろう。そのマニフェストである「アヴァンギャルドの擁護」を読むと、必要なときには好戦的であることも厭わない「戦闘的バザン」の姿が垣間見えてくるようだ。

 その好戦性は、偽名を使って発表された「フィルモロジーのフィルモロジー序説」で頂点に達する。1940年代後半に、ジルベール・コーエン゠セアがソルボンヌを拠点として主導した学術的な映画研究プログラムである「フィルモロジー」は、よほど批評家バザンの腹に据えかねるところがあったに違いない。鋭利に研ぎ澄まされた匕首のようなバザンの筆鋒は、聖人君子の印象が強いこの批評家の別の面を露わにしている。この批判は、バザンが批評の営みに何を賭けていたのかを裏側から明らかにしてくれるだろう。

 本号ではさらに、映画上映・保存の実践に関わりの深いお三方から特別寄稿を頂戴した。土田環氏は山形国際ドキュメンタリー映画祭でギー・ドゥボールを上映した体験を、バザンの〈オブジェクティフ49〉と結びつけて、この批評家のアヴァンギャルド観の大胆な読み直しを図っている。岡田秀則氏は、アンリ・ラングロワ率いるシネマテークが1948年にメッシーヌ大通りに「映画博物館」を設立した瞬間に注目し、その杮落としの展覧会を紹介したバザンの小さな記事の含意を鮮やかに読み解いていく。坂本安美氏は、アンスティチュ・フランセにてシネクラブの伝統を現代的に発展させている自身の経験を踏まえつつ、バザンの「批評的実践」の意義を真っ向から考察する。バザンの精神が坂本氏の実践に谺しているさまに、読者も心を動かされるに違いない。

 小特集は、取りまとめを担当した大久保清朗氏の尽力により、バザンの日本映画論の精髄がくっきりと浮かび上がるものになったのではないかと思う。黒澤明の『羅生門』(1950)の「啓示」をきっかけとしてバザンが精力的に執筆した少なからぬ数の日本映画評は、私たちのよく知る当時の日本映画をプリズムとして、作家の顕揚とは異なるバザンの批評の一面を改めて伝えてくれる。極東のこの国で『アンドレ・バザン研究』を刊行する以上、大久保氏ともども、このテーマは避けて通れないと考えていた。六号にわたる本誌の締め括りとして、ようやくその責を果たせたことを私も嬉しく思っている。

 続いて、伊津野知多氏による編集後記の全文です。

 「いつの日かきっと、1905年から1917年にかけてのアメリカ映画における喜劇をめぐる800ページの博士論文、ないしそれに類した著作も登場することだろう。それが真面目なことではないなどとだれが主張できるだろうか」(「映画批評のために」)。批評家としてバザンがスタートを切ったとき、映画について真面目な研究書が登場することはまだ希望的な予測でしかなかった。他の諸芸術に比べて著しく歴史の浅い映画にもすでに歴史が存在しているというのに、あたかも歴史などないかのように映画は扱われ、批評言語も成熟していなかったからである。しかし批評家として脂が乗りきっていた彼の前に突如登場した「フィルモロジー」なる学術的な企てに対して、バザンはやっと映画が格上げされたことを喜ぶどころか、厳しく醒めた目を向けた。フィルモロジーが映画の具体的な実存に対する無知を戦略的に露呈することによって、大学人の劣等感を埋め合わせていることに気づいたからである。大学という場で映画研究に携わっている映画学者(フィルモローグ)の末裔かもしれない身に、このバザンの怒りは直接響いた。

 だが、当時バザンが発見した見知らぬ映画の産地である遠い極東の地で、バザンその人に捧げられた研究誌が六冊も発行されることまでは彼も予想できなかっただろう。バザン自体が歴史化されたともいえる現在だが、私たちはバザンを過去の遺物とは考えない。むしろ、現在の映画を、映像と観客との関係を、上映活動や映画祭のあり方を考えるための有効な参照点として、あえて言うなら映画論のアヴァンギャルドとして捉えている。そのことを彼に伝えられたらと思う。最終号となる本号では、当時のコンテクストを解き明かしつつバザンを現在へと繋ぐ各解題と、映画上映・保存の実践に携わる方々からの特別寄稿とともに、バザン自身の言葉をたっぷりとお届けする。

 日夜批評的実践に身を投じる中でつかみとられたバザンの理論には、極めて明晰で論理的でありながら、レトリックの効果にとどまらない独特の肌触りがある。バザンにおいて批評という営みと理論的思考は分かちがたく絡み合い、特異な映画論の身体を形作っているのだ。その肌理に迫るべく、これまでの号と同様に翻訳の質の向上に努め、原稿の綿密な確認を行った。編集担当と執筆者の間では校閲コメントで重くなったファイルが幾度もやりとりされ、折よくパリに滞在していた須藤健太郎氏には日本で入手困難な初出誌調査のために何度もBNFに足を運んでいただいた。編集協力の宮田仁氏とデザイン・組版の中村大吾氏の尽力にもどれほど支えられたことか。今回私は編集を担当しただけだが、それでも対面の研究会が開催できない状況下で、文字だけを通してこの上なく充実した研究活動をしているという実感が確かにあった。この厳しくも心地良かった時間を今は名残惜しく思う。

 バザンひとりが遺した膨大な言葉の質量に対して、集合知で挑んだ本誌の成果はごくささやかなものかもしれない。だとしても、本誌全六冊を通して『アンドレ・バザン全集』という巨大な岩にアタックするためのいくつかの足がかりは残せたと自負している。 
(J. H)